幻住庵
『奥の細道』の旅を終えた芭蕉は、そのまま上方に滞在していた。
元禄2年の大晦日は大津で過ごし、明けて元禄3年1月3日には故郷伊賀上野に帰った。ここに3月の中旬まで滞在して、再度膳所に戻った。
芭蕉はここで、「行く春を近江の人と惜しみける」と読んだように充実した豊かな時間を過ごすことになる。
膳所に戻った4月6日に国分山の中腹にあった曲水の伯父菅沼修理定知(法名:幻住宗仁居士)が8年ほど前まで所有していた荒れ果てた「幻住庵」に入る。ここで書かれたものが『幻住庵の記』である。芭蕉の人生の最高に充実していた時期に当たる。「不易流行」の論理付けも完成し、一見隠遁風の幻住庵への庵住だが実際には弟子の訪問も繁く実に繁忙な日常であった。
しかし、精神的な充実感は自分の過去を率直に振り返ってそれを総括すらできるほどに満たされたものでもあったのである
(以上、山梨県立大学『幻住庵の記』より抜粋)
ここに建つ現在の庵は、平成3年『ふるさと吟遊芭蕉の里』事業の一環として再建されたたてもので、芭蕉が暮らした当時の庵とは異なるものです。
この建築の老朽化に伴い大津市による改修計画が予定されており
現在、MOAにて現地調査と改修設計(主として茅葺屋根)を行っています。
一般的に建築を設計する際には、そこに住まう人たちや使う人々の事をあれこれ考えながら図面を書くのですが
今回は、芭蕉に思いを馳せながら幻住庵記を片手に設計を行っています。
現状図がほとんど残っていない為、測量と調査写真を考察しながらの作図作業を行っています。
松尾芭蕉の句に込められた切なさと滑稽さは、彼の人生と旅の有り様と重なります。
建築の改修保全が弊社のミッションではありますが、穏やかな近江の風景と芭蕉の軌跡を思慮する好機となりました。
現在の国分からの風景
大津市観光課+建築課・MOA 現地調査
紅葉の頃の幻住庵
- 2024年12月16日